13の月の暦の提唱者 ホゼ・アグエイアス博士


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ホゼとの交流を思い出す

1995年、ホゼと、初めて会ったときのこと。
「パラダイムシフトの根底は、カレンダー」と語るホゼ。
「カレンダーを変えなければ、環境問題は解決できない」と語るロイディーン。

1996年、アトランタ直前の有森裕子さんへのインタビューで、アメリカに行った時に、
奇跡的なシンクロの積み重ねで、
ホゼのフォーコーナーズでの、国境溶解の儀式に立ち会ったときのこと。
1997年、奇跡のシンクロで、突然のように自由が丘の我が家にやってきて、
「13の月の暦を普及する」には、どうすればいいか ? と相談され、
ダイアリーのアイデアを出したときに、「全部、お前に任せる」といわれたときのこと。

1999年、時間をはずした日の祭りのヴィジョンを伝えたところ、すぐ、アメリカに来てくれと言われ、しばらくして、山の中に住んでいるホゼとロイディーンの妖精のすむような山小屋のような家に滞在したときのこと。一緒に、山に登りながら、柳瀬の息子が、「ホゼの師のリンポシェに深い縁があることを感じる」とホゼが、真剣に語ったときの顔。
コスタリカの国連大学で、平和と時間の世界会議に招待され、時間をはずした日の祭りを国連に提案することを採択。最後の日に、庭で「太陽の紋章のフォークダンス」を踊りながら、一緒に観た、ダブルレインボウ。
2000年、初めて、銀座で、1000人満員の会場で、一緒に講演したときのこと。
その後も、何度も、一緒に講演したときのこと。
2002年、時間をはずした日に、大阪の天神祭りの中心。天満宮で、一緒に神をおろす儀式に立会い、世界に、平和の祈りのエネルギーを発信したときのこと。
2003年、「2012年への道」というテーマで何度も、一緒に講演した後、日本人が新しい時間に旅立つ象徴的な意味をこめて、一緒にパレンケに行くことについて語ったときのこと。翌年、パレンケでの再会と数々の奇跡。
2004年、ヤクルトホールで、河合隼雄さんと3人で鼎談したとき、そのパーティーでのこと。
2007年、「ヌースフィア」について説明しに日本に来るように進言しにニュージーランドに行ったときのこと。虹。「マヤン・ファクター」の新版のアイデア。

そして、2008年
0.0.フナブ・クの日の儀式。KIN11からKIN12に引き継ぐ・・・儀式。函南スプリングスでの「ヌースフィア」についての研修。杉並公会堂での講演、ヒルトンホテルでのパーティー。リーダー会議。バイロンベイでの宇宙との交流。
・・・・・・・・
そして、今年、ホゼから
地震の後、柳瀬と家族は大丈夫か ? というメールをいただき、
柳瀬は、大丈夫だという返事とともに、
日本に向けて、ホゼからメッセージをいただけないか ? という依頼をしました。
ステファニーから、このとき、
ホゼが震災の3日前から病気になっていて、今は日本へのメッセージが書けない。
回復を祈ってほしい、というメッセージが来たので、
日本の KINに、1万人以上の人に、祈りの呼びかけのメールを出しました。
そして、柳瀬は、先祖の墓参りに、丹波の氷上町に行き、
山の裾にある墓の掃除、まわりの木を払うことなどを、家族5人で行い、
禅勝寺というお寺で先祖供養の読経を住職とともに行いました。
三つのお経を読みましたが、般若心経を読んだときに、
そのときに、ホゼとバイロンベイの海岸で、一緒に、
ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか
「羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶」
を波の音を聞きながら、何度も一緒に、唱えたことを思い出していました。

旅先の丹波で、ステファニーのメッセージを読み、
日本中の KINに、ステファニーのメッセージを送りました。
「今、わたしたちは彼の代理として、彼を愛する人たちに、
太陽の月19日 Kin91(3月25日) 正午(太平洋標準時)に、
共振の(Synchronized)通夜/儀式をお願いしたいと思います。
彼が魂の旅を続けられるように、そしてまた虹の橋と光の帰還(Return of Light)を
思い描きながら、みなさまの祈り、光、祝福を彼にお送りください」

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ホゼ・アグエイアス博士
マヤ暦研究の第一人者。1987年『マヤン・ファクター』によって、その時間についての叡智と、2012年についての歴史的な見解を世界に発表し、世界の知識人を震撼させた。